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パーベイシブなアプリケーションは自分が作り出すということ(2006/04/26)

 「パーベイシブアプリケーションの世界観」というヴィジョンがある。では「パーベイシブアプリケーション」とは何か?「パーベイシブアプリケーション」とはユーザーシーンを問わず使いつづけられるアプリケーション、コンテキストを持続できるアプリケーションである。

 恐らくその「何か」は、リアルタイムであることが必然である「体験」を、ユーザーが手元にあるデバイスからバーチャルに「体感」することでとてつもない感動をもたらすに違い無いのだが。

 ここで、「コンテキストの持続が感動をもたらす」と仮定すると、それは同時に「中断」を仮定することと同意だろう。例えば、朝から始めたチェスを、「買い物いってきて!」という家族からのお願いで中断される。「パーベイシブアプリケーションの世界観」に例示されたチェスゲームを見れば、移動中の車中でカーナビ、買い物中に携帯で持続可能だ。でも「ごめん待ってて、続きはまた今度ね」というぬるさで十分かもしれない。

 ではチェスゲームではなく、リアルタイムというキーワードを拾ってみる。究極のリアルタイム性が求められるものにデイトレイダー用の株ツールがある。朝から始めたトレードを、「買い物いってきて!」という家族のお願いで中断されるだろうか?

「そんなもの、くそくらえ!」

それがトレーダーの心であろう。トレーダーはPCの前にへばりついたままだ。

 「ごめん待ってて」で済むものではなく、「そんなもの、くそくらえ!」でもない、その間ぐらいなのだろうか?いずれにせよ、それは今はまだ無い「経験」の「体感」であることは間違い無い気がする。

 そして仮にパーベイシブアプリケーションのプロトタイプができたとしたら、自分がヘビーユーザーで無ければならないだろうことも容易に想像が付く。「経験」の「体感」であるということは、生活の中で自分が「体感」しつづけなければならないからだ。自分の生活の中で、ここがパーベイシブでなければならないのに何故そうなっていないのか?という怒りが、「アプリケーションによるコンテキストの持続」に対する感度を研ぎ澄ますに違い無い。

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