UJML普及に立ちはだかる2つの壁:「頭の良さ」そして「完璧主義」(2006/03/03)
約1ヶ月半ほど、UIEngine、そしてUJMLを体感(体験?)した。その中でふと考えたことを「UJML普及に立ちはだかる2つの壁」としてまとめてみた。今回はその1の「頭の良さ」について。
壁その1.頭の良さ
壁その2.完璧主義
※言及の中でUJMLの仕様に触れるが、仕様を100%理解していないので、間違いがあったら指摘していただけると幸いだ。
※また、私はUJMLが普及したらうれしいと感じており、揚げ足を取るつもりはない。
◆壁その1.頭の良さ
その1は、「UJMLを考えた人はとても頭の良いひとなんだろう」、という前提で話を進める。そう考えた理由は、「幅や高さの指定に%が使えないのはどうしてか?」にも書いたが、ヴィジュアルエレメント(箱とかラベル等のこと)を配置するときに開発者が座標計算をする前提でUJMLが作られているからだ。私もたびたび足の裏からむずむずしてくるような不快な思いをしている。
簡単なアプリケーションを作成するなら、厳密な座標の位置やヴィジュアルエレメントのサイズは気にせずに作れた方がいいのではないか?と思う。
ホームページ作成に使われるHTMLは何でもありにしたこと - 例えば、入れ子とか閉じタグ無しもOKでブラウザががんばって表示してくれる - により、老若男女世代を問わず普及に成功したのだと思う。(まぁ、それが、情報洪水を引き起こし、Googleの躍進を助けたのだが)
これに比べ、UJMLはヴィジュアルエレメントを座標指定せずぽんぽんと配置しようとすると、全て座標が初期値X=0,Y=0になりみんな画面左上に重なって表示されることになる。サンプルを作っていると「表示を確認したいだけなのに、何で座標まで指定しなければならないのか、、、」とむずむずしてくる。
そんなわけで、今のUJMLは座標計算等を苦に感じない人向けであり、「老若男女世代を問わず」というものではない。直接座標指定することは極めて凝ったUIを設計するためには必要だが、UJMLの入り口に立つ人にはちょっとやらしい仕様だ。
これは、UJMLを開発した人が頭の良い人で、そんな計算は朝飯前で頭の中で自動処理できるような座標変換のみを司るサブプロセッサを脳内に配置している人なんじゃないか?と考えてみた。
というわけで、「壁その1.頭の良さ」は、UJMLの仕様がむずむずする人の気持ちをくまないため、痒いところに手が届かない仕様になり、とっつきにくいと感じるだろう、ということがいいたいのだ。
今流行りのWEB2.0は、インターネットを介し、様々なサービスとの連携、マッシュアップ?によりユーザーに新しい体験を引き起こすことで、多くのユーザーを巻き込み、また、巻き込まれたユーザーが提供する側になることで良い循環が巻き起こっているのだと感じる。
この「連携」と「マッシュアップ」は、まず、「連携できるか?」が重要であり、ユーザーインタフェースはその次ではなかろうか?ゆえ、ある程度ユーザーインタフェースを適当に作れる余地があった方が良いと思うのだ。
例えば、
GoogleMapのAPIが公開されたとき、とりあえず、どこかに描をうち、「こんなことできるよ」的な紹介が多かった。連携できることを見せ、新しい体験と感動があったのだ。
その後、表示方法を工夫したり、描をオリジナルにしたり、と、インタフェースを改良し、優れたサービスとして提供されるものも出てきた、という流れがあったと思う。
UJMLには、まずWEBサービス等と連携する部分以外は、いい意味での適当さを持たせることが普及には必要だと感じている。UJML2.0に期待するのだ。
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